top of page
All Posts


ARTIST STATEMENT ver.2026/08/09
AS OF TODAY 私はかつてエステティシャンや看護師として、多くの人と「短く限られた時間で深く関わる」仕事に従事してきた。他者の身体や心に触れる経験を通して、人間そのものが持つ複雑さに強く惹かれるようになった。 COVID-19流行下の3年間、医療従事者として閉鎖的な環境で過ごすなかで、患者以外の他者と関わる機会は大きく制限された。その反動のように、私は7年ぶりにカメラを手に取り、SNSでつながった見知らぬ女性たちと会い始めた。それが現在まで続くこのプロジェクトである。 彼女たちには、それぞれに思い入れのある場所を選んでもらう。その場所に身を置くことで、その人自身の記憶や身体感覚が立ち現れてくるからだ。そこをともに訪れ、即興的なスナップショットを撮影しながら対話を重ねる。時にはカメラを置いてただ話をし、河川敷に並んで寝転び、冷たい水に足を浸しながら同じ時間や感覚を共有する。私にとっての撮影とは、相手を観察し記録することではなく、その場をともに過ごし、互いに影響を受けながら関係が生まれていく過程である。 言葉を尽くしても、なお形になりきらずに
Rumica Kaji
8月7日読了時間: 2分


撮る/撮られるから、写真による対話へ タカザワケンジ
撮る/撮られるから、写真による対話へ タカザワケンジ(写真評論家) ポートレイト写真にはセンシティブな問題がつきまとう。 カメラを手にした側は、レンズの前にいる人物をコントロールし、自身の意に沿う写真を撮ろうとする。 シャッターを切る決定権はカメラを手にした側にある。写真撮影が創作である以上、作者のエゴが発揮されるのは当然だ。しかし、相手が人間である以上、撮る/撮られるという関係には必然的に権力関係が生まれてしまう。 しかし撮られる側がいつもコントロールされる側にとどまり、黙って撮られているだけというわけではない。カメラを手にした人間が「撮りたい」と思うように、「撮られたい」と思ってレンズの前に立つ人がいる。 どう撮りたいか、どう撮られたいかというそれぞれの欲望がスパークした結果──それが梶瑠美花の写真である。 梶は本展のステートメントで制作プロセスを明かしている。(1)ソーシャルネットワークを使用し写真に写りたい人物を探す。(2)その人物が指定した日時に指定された場所に行き、その場で即興的にスナップショットのスタイルで写
Rumica Kaji
8月7日読了時間: 3分
bottom of page